どら猫亭日乗

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音楽は国を救えるか

1942年8月、ナチスドイツに完全包囲されたソ連邦レニングラード(現在のロシア・サンクペテルブルク)。その光景は、まさに阿鼻叫喚だった。戦争がすべてを、恐怖に落としていた。食糧は尽き果て、ライフラインは途絶えた。餓死者も多く、病人も数多くいた。なかには、人まで食べる(!!)という、おぞましいことをした人もいる。

しかしそんな最中、ある企画が持ち上がった。このレニングラードで、ある曲を演奏することである。20世紀ソ連邦を代表する作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ交響曲第7番、その名も『レニングラード』。彼は瀕死の地獄と化した自らの故郷に、希望を見いだすべく、この最大級の交響曲を手掛けた。
ショスタコーヴィチは波乱に富んだ人生を送った。10代で交響曲第1番を作曲し、“赤いモーツァルト”と賞賛された。しかし、自作のオペラが社会的批判にさらされ、作品の発表を見送らずを得なくなった。それでも屈せず、作曲し続ける。彼の代表作といわれる交響曲第5番は、そんな時期に作曲したものだ。

そして、交響曲第7番『レニングラード』。演奏したのは、900日封鎖され、それでもなお生きのびた80人の音楽家たち。その演奏は、想像以上に困難なものだった。実際に聴いていただくとわかるが、ショスタコーヴィチの曲は、かなり複雑でプロでさえ手こずることが多い。彼らもまた、演奏困難だと訴えたが、それでも叱咤激励と念入りなレッスンの結果、数多くの絶賛を得たものの、電力不足により録音ができなかったのが残念だ。

この伝説の名演奏と、レニングラード封鎖から立ち上がっていく有り様を描いたのが、『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』(ひのまどか著/新潮社)である。著者はロシア語を会得してまで、この出来事に徹底取材した。当初はこれを小説として書いたが、編集者のダメ出しでノンフィクションで書き進めた。確かに小説では、リアリティが薄れる恐れがある。本書の、封鎖から解放され、交響曲初演にかけては、まさに圧巻である。
本書を読み、あの東日本大震災直後を思い出した。何もかも自粛になったその日、音楽さえ控えざるを得なかった。極限状態にあった震災直後、レニングラード封鎖の状況下と重なった。音楽に何ができるか。改めて、その問いを思い出し、考える。

坂本龍一氏と鈴木邦男氏との対談『愛国者の憂鬱』(金曜日)には、こんな発言がある。

坂本 (前略)どうも日本の場合は、「音楽は余暇のためのもの」っていうか、しょせん太鼓持ち、河原乞食っていうか。芝居にしてもそうかもしれませんが。
鈴木 僕もそこまでは思わないですね。
坂本 日本では、音楽は生活必需品ではなくて、なくてもいいもの、余暇を楽しむ程度のものっていう位置づけですよね。
 たとえば、フランスだと戦争になったら、まず真っ先にルーブルの美術館を疎開させます。人間より先に。音楽に対してもそうです。欧米では、音楽が自分たちのアイデンティティそのものなんですよ。
(中略)
鈴木 日本の場合、音楽はどうしても生活の余りものっていうか、贅沢品みたいな感じかもしれません。だから戦争になると禁止になりますよね。そんな楽しみを享受してていいのかと。

これは勤勉で慎ましい日本人特有のものかもしれないが、時に文化は人々を救うこともある。無駄なものと思えるものでも、結果的に大事なものになり得るのだ。その証拠が、『戦火のシンフォニー』にはある。

戦火のシンフォニー: レニングラード封鎖345日目の真実

戦火のシンフォニー: レニングラード封鎖345日目の真実

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

愛国者の憂鬱

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